何故英語をdefaultにするか

まずここが一番大事なとこだと思います。日本人なのに、何故、英語をdefaultにするのか?あるいはするのがいいのか?

といっても何も日常生活を英語にしましょうと言ってるわけでないです。どの部分のことを言ってるかは徐々に述べます。

ぼくは日本生まれ、日本育ちで、確かに比較的英語は得意科目だったというのはありますが、最初は憧れで、中学時代にビートルズとかレッドツェッペリンとかの音楽を聴きながら次第に西洋文化に傾倒した覚えがあります。東京(正確には横浜)の高校に進学し、そのままエスカレーターで入試なしで結構良いと言われる大学(慶應義塾)に進学できたのはラッキーでした。経済学部に入ったときに、あまり勉強する気が起きず授業にもほとんど出なかったりで、大学一年で留年してしまいました。当時経済言論IIというのがミクロ経済学だったのですが、大学の先生が4人連名で洋書を翻訳した(ような)ものが教科書になってまして、用語がいちいちわかりにくい。ミクロ経済学に「収穫逓減の法則」というのがあって、僕自身内部進学だったせいもあり漢字に弱いという欠点があったものの、多分生まれて初めて「逓減」という漢字に出会いました。まず、読めない!しかも意味がわからない。何しろとっつきにくい、いきなり「収穫逓減って何ぃ?」となりました。のちにアメリカのビジネススクールへ留学したときに改めてEconomicsの授業をとったときにLaw of Diminishing Returnという説明を受けたときにピン!ときました。(なんてわかりやすいんだろう!と感動しました)。もちろんMBA留学で気合が入っていたというのもありますがもともと、経済学なんてのは、フランスだかイギリスだかで生まれた西洋の科学であって、無理やり「収穫逓減」という四字熟語は置き換えた瞬間にオリジナルのニュアンスは飛んでしまっていて、「逓減」という漢字の意味を余計に理解しなきゃいけないし、言葉を理解する苦労が本来の理論の理解を邪魔してるというのがぼくの印象です。何故、翻訳という不要な作業をかませるのか?単純に無駄だと感じました。もっといえばオリジナルの書物を日本語に翻訳しただけでいい気になってるのか?わかったような顔しているのか、不思議でなりませんでした。

というのも何年か前に元東京大学のマーケティング教授 片平先生(日本におけるマーケティングサイエンスの草分け的な存在、何度がお会いしたことがあります)が書かれていて、「ほんと、そうだよね〜。」って感心しました。理論経済学の理解は論理を理解することとイコールだと思います。何しろ、「元」 or 「オリジナル」言語が英語・仏語なら、そのまんま、オリジナル言語で学ぶべき、日本語に翻訳したあとの世界で、オリジナルからかけ離れた言語空間のなかで学ぶのは非効率か下手したら不適切に学んでしまうと思います。オリジナル言語で学んだほうがストレートだし、正確です。

ぼくは本気で勉強を始めたのは、社会人になってから。ビジネススクール留学を目指して、お勤めしながら当時四谷にあった日米会話学院というところで夜間授業をとっていて、米国ビジネススクールの授業さながら(当時のお金で確か1科目7万とか8万とか結構いいお値段で)、Accounting, International Business, Financeなど留学準備として授業を受けてました。確かに英語で喋る、英語で聞く、英語で書くってなると、どうしても、和英になっちゃって、英語で何て言うんだっけ?という思考パターンになりがちです。でもそこはある程度「慣れ」という気がします〜「筋トレ」みたいな。「聞けない」「聞こえない」「出てこない」の連続です。延々とつづきます。英語が相当できるようになった今でも続きます。「聞けない」「聞こえない」「出てこない」です。

話を戻しますと、何故英語をDefaultにするのか?ですが。そこは原産地主義という考え方です。経済学なら英語(多分)、コンピュータサイエンスも英語(多分)、およそ大学の学部で教えられてるあらゆる社会科学、理系、医学、法学どれも英語が原産地と思ってほぼ間違いないと思います。その意味で日本語で勉強するべき学科は日本文学、日本史、日本料理、日本画などに限定されるはずです。いわゆる国語の領域、日常生活は当然日本語でいいです。

その前提であえて英語(あるいはほかの外国語)を上達したければ、その目的の領域を絞る、僕の場合はMBAでビジネスを学ぶから始まりました。仮にそれがフランス料理🍳だったら、フランス🇫🇷に留学し、フランス語🇫🇷でそれを学ぶべきだと思います。もしかしたらそれはサッカー⚽️で、その近道はブラジル🇧🇷に留学してポルトガル語でそれを学ぶかもしれないです。つまり、言語は目的ではなく手段ということ、目的は料理だったり、経営学だったり、サッカーだったりで、それを吸収する時の媒体がたまたまフランス語🇫🇷だったり、米語🇺🇸だったり、ポルトガル語🇵🇹だったりするという発想が自然ではないでしょうか?

だからぼくは「英語を」学ぶのではなく、「英語で」(あるいはアメリカ語で)学ぶことを推奨しています。とくに米語🇺🇸をお勧めします(英語というより米語です)。なぜなら、世界を動かすシリコンバレーが米国カリフォルニア州にあるから、あるいは西海岸に位置するマイクロソフト社やアマゾンがシアトルにあったり、いわゆるMag 7といわれるハイテク企業はすべて全て西海岸から生まれたからです。(Mag 7 とは株式市場でApple, Microsoft, Alphabet (Google), Amazon, Nvidia, Tesla, Meta 以上の7銘柄)。これらの企業に働くこと自体がもはやブランドであると言えます(とは、だれかアメリカのマーケティングの先生がそんなことを言ってました。)